夜明け前

その時その時で

見方


たとえば


食物は工業品として栽培されたり

飼育される必要なんて

ないと思ってて

(いつでもどこでもスーパーに売られていて手にはいる、有り難みもなく片手間に食べられる環境は必要ないと思ってて、でもきっと私は、私の理想の世界になったとして お肉がすぐ食べられてあの頃は良かった、なんて恵まれていたんだと思うかもしれないでしょうけど)


命を軽率に扱い
利潤を得て私腹を肥やしたり
権力を得たりしようとする人がいなくなればいい
と思ってて
(そんなことをしなくても 幸福を感じられる術を悟ればいい と思っていて)

じゃあ
工業化に携わってる
多くの人々の生活はどうなるの
と聞かれても


知ったこっちゃない、
その時はその時で
また別の道があるだろう と思ってて

その別の道は
私の理想とする道徳に則っている道であってほしいなと願ってて

でも
みんながみんな
私の理想通りには生きなくて、
それぞれにバックグラウンドがあって

どんなに悪くて
許せないような人でも
愛していたくて


母がスーパーで豚肉を買ってきて
美味しい料理にして
夕食のテーブルに出してくれたら

ああ本当に美味しいなぁ
作ってくれてありがたいなぁ
嬉しいなぁと思うし

マクドナルドで
一生懸命接客するスタッフを
応援していたいと思うし

もろもろを受け入れて
美味しく味わえることに
尊さを感じる自分の感性を
少し愛おしく思ったりもするのだ。


いつも
そう思えればいいなぁと
思ってるし
そうできない時も
それでいいんだよなぁ と
思えるようにいたいと思ってる。

コーヒーに関しても
思うことは複雑だけど
豚肉とおんなじ感じ。

自分の容姿に対する
コンプレックスがあるからこそ

食物をいただくことに対するコンプレックスが
あるんじゃないかと思う。

絡んで形成されてきたものだと。


それもまた 人間らしくて

愛しいことなのでしょう。

誰しも そういうところがあって

愛しいものなのでしょう。






と自分に言い聞かせる作業。