夜明け前

その時その時で

村上慧 『移住を生活する 1~182』に行ってきた。@亀有ギャラリーバルコ

f:id:teamyoake:20150418132027j:plain:w250

村上慧 『移住を生活する 1~182』をギャラリーバルコ にみにいってきた。

以下は展示の詳細を書いてる。
なのでこれから行こうと思っている人は読まずに行かれたらいいかも。



村上慧さんのことはTwitterで知人の投稿を経由して知った。自分の家ごと、歩いて移動しながら各地の家の絵を描いて日本を回っているらしかった。その日の家の基礎となる土地を借りるために行く先々で人と交渉するらしい。
インターネットで出会った彼の言葉は淡々と綴られていた。淡々とだけど常に静かに燃えてる。
彼が書くブログの文章は私が日々の中で答えを探すことを諦め蓋をしていた事柄を思い出させた。でも日が経つとまた少しずつ膜が張られて蓋に戻ろうとしてしまう。
度々、日記を読むようになった。

それから、会う機会が2回あった。
(どうしてもお会いしたかった)
初めてお会いしたときに、美術は好きですか?と聞かれた。
その時は美術がなんなのかわからなかった。村上さんのプロジェクトは好きですと答えた。

(最近になって思ってきたのは、芸術っていうのは表現で、存在の肯定で、考えるきっかけで、自己の変容のきっかけで、より良く生きるために必要なことかな。っていうこと。美術好き。美術という形でなくてもじゃなくても好き)

日記はインプットが多すぎるため、忘れるために書いていると言っていた。

2回目にお会いした時は半年前、彼が大阪入りした時だった。
家を担いで一緒に歩かせてもらった。(前回の記事に書いた。)
f:id:teamyoake:20150422033317j:plain:w250
家を置くための貼り紙を作る村上さん





担いでの移動は視界が悪くて狭くて重たくて、びっくりした。
村上さんの家の窓の外から見てくる町の人の姿が見えた。なるべく目立ちたくないと言っていた。それなのにやるのは大変だろうなぁと思った。彼の展示には必ず行こうと決めた。



                  • -

入り口に入ると先客を見送る村上さんがいた。
目が合うともえこ、よくきたな、って言った。
私は よく来た。と言った。

村上さんは暖かそうなダウンジャケットを来ていた。前にあったときとおんなじ赤いスニーカーを履いていた。ハグしたくなったけど我慢した。私は展示をみに来た。


展示の入り口に展示概要やプロフィールや過去の作品をまとめたファイルがあったので読んだ。
次に大きな日本地図があった。日本列島の上にに小さな番号が書かれた白い丸のシールがたくさん張られていて、それらの点は少しずつずれて、線のように日本をぐるりと囲っていた。列島の回りの海のところには、列島に貼られた番号に対応している、家を置いた土地の名前が書かれていた。


やったんだなぁ。と思った。


村上さんと一緒に歩いたところを地図で探した。
(今書きながらあの日歩いたときの自由な感覚と喜びを思い出した。)

一緒に歩いたところはほんの1つの点でしかなかった。このあとにも先にも彼はずっと点を繋げて線にして、移住を生活して来たんだなぁ。
と思ってじんわりした。


見てたら村上さんがきた。『元気?』って聞いたら 元気。と返ってきた。 またあとで話そうって言って彼は奥に行った。


その次に家の絵と家の写真が左右の壁に数枚ずつ飾られていた。1、2、3、4とある。
赤い丸印がついててなくなってる絵もあった。

進もうとすると白い布が暖簾で壁のようになっていた。
布をくぐり抜けた。



布を抜けると空間一杯に貼られた各地のお家の絵と対に貼られた村上さんのお家の在処の写真があった。

家の中に入ったような気持ちになった。

真ん中には家があった。

涙が出た。


村上さんの生活した時間を感じた。



真っ直ぐに家と向き合ってるような絵たちだった。
時間がなかったのかなって絵や、雨が降ってきてあわててしまったんだろうなって絵もあった。番号の小さい絵は線がどこかふわふわしてた。
番号が大きくなるにつれて線が堂々としていってた。静かに家と対峙している様子が浮かんできた。距離が近い家や遠い家があった。
いくつか『絵が描けなかった。』と手書きで書かれた絵の貼られていないスペースがあった。
一番下の段にはそのスペースがたくさんあった。彼の日記と合わせてみると体調崩してた時だ。

番号と番号を照らし合わせて絵と写真を見ていくのは集中が切れてしまった。
より濃く私の中に落とし込みたかった。


再会したおうちは大阪で会った時より年期が入ってるというか、なにか、強いっぽいものになってた。
何度も重なったガムテープ、剥げた塗装、へこんだ壁、なにか塞いだ跡、少し曲がったドア。
おうちのなかには服やリュック、旅の途中でもらったっぽいお守りとかがかかってて、絆創膏の紙とかが落ちてた。
彼が旅してた時の様子が想像できた。
屋根の瓦に前は見なかった赤いスタンプが押されてて、聞くと、大分のファミレスの店員さんに押されたと言っていた。

いいおうちだ。


左右の壁を隔てる正面の壁は真っ白で、そこには村上さんの家の絵があった。実物そのままの絵だった。



見終わってから(ほんとは見終わってない。でもその時はそれでいいと思った。)村上さんや、コーディネーターの新藤さんと話した。
村上さんはいろいろなことに怒ってた。なんとしても道を作りだすんだって気持ちを感じた。彼は使命感責任感、みたいなのを感じてると言っていた。怒ってる村上さんが好きだ。


彼が生きてることとそれを知れたことを私は光に思う。
せっかく知れている。私はもっと生きたい、と思う。


もっと考えて、やりたい。
考えることをやめてしまいがちなので、考えざるを得ない環境に身を置けたらいい。
考えざるを得ない環境っていうのは、まわりに考え続けている人がいる環境、人に触れられる環境のことだと思う。



居合わせた展示をみに来た人のなかには、遠方から来ていた人も何人かいて彼が道中出会った町の人たちだった。
出会った経緯や町の話、昔の時代の話を聞いた。空間が面白かった。


展示会場から一度でて亀有の商店街や住宅街を歩いてきた。町並みや暮らしてる人や家を見てた。歩くほどにもっと感じられる気がした。
西日が温かくて風は冷たくて、住宅街の時間はゆっくりで、大きな道路に入ったとたんにスピードが戻った。




この会場に向かう際、私はバスや電車を利用して移動した。たくさん土地をすっ飛ばしてきたから、陸続きの、延長線上にいる感覚はない。たくさんすっ飛ばしてる。


村上慧 『移住を生活する 1~182』
@Gallery Barco
2015.4.17. -4.29.
12:00-19:00

https://www.facebook.com/events/736485803131487/