夜明け前

その時その時で

最適

私は
人を愛していたい
みんな幸せでいればいい

というエゴを持っている。

同時に人が怖い。
人とリラックスした状態で関われることは稀。

泣いている時くらいである。

泣くのは気持ちがよくて、楽になるから好き。


整体に行っても運動してもよくならない肩こり、冷え性は緊張からくる自律神経の興奮状態が続いていることによるらしい。


イライラしている人や怒っている人が側にいるとき、自分に強く気持ちをぶつけられている時などにはどうしていいかわからなくなったり逃げたくなる。

怖い感覚になる。

自分とは関係ないことでも理屈より深いところでは私のせいだ、と思っている気がする。

人は怖いものだと思ってるっぽい感覚や生きていることへの罪悪感とかがある。
20歳くらいからは度頻繁に動悸が起こるようになった。


今日聞いた話によれば、上に書いたようなことの原因の一部は
小さいときに親から受けた関わりに起因する、らしい。今日聞いた話によると、なのでそうじゃないこともある。



小さいときは生き延びるために、親から あるいは育ててくれる周りの人から愛をもらうことに命がけだ。
親から突き放されたとき、つらさによって今の自分の態度は愛されないことなのだからしないようにと記憶に強くインプットされる。

それが真実ではないとしてもその時の自分の環境で生きるためには、親に愛されるために心とからだで認識してインプットしておくことが必要だった。って考えられる。


私の場合は"人はこわいものだ"という認識だったのだろーな。


大人になってもなぜか人に甘えられなくなったり、必要とされると無理して自分を犠牲にしても頑張ってしまったり・・・

逆パターンでは一人では何もできない自分に周りが価値を見いだしていた場合、
無意識下で一人でこなすことに抵抗がありなぜかミスをするというような感じで過去を現在に投影する、といったことが起こる。
いつも同じような恋愛パターンになったりここぞというときに体調をくずしたりする人も同じ仕組みであるらしい。


私の動悸は思いきり感じて捨てるべきなのに抑圧するしかなくて未だに溜まっている感情。

無視しないで感じて開放してほしい、と自己調整機能がいっぱいいっぱいな体がサインを出している状態。

環境や人のせいである部分はあるけれど、人にもそれぞれそうなるべくしてなっている背景があるので人は悪くない。誰も悪くない。


人をこわいと思っているけれど、それは私が悪いわけでも関わる人が悪いわけでも親が悪いわけでもない。


というのが今日話を聞いてのまとめ。


補足すると、原因を突き詰めて自分以外の何かのせいにできて自分が楽になって新たな一歩とかを踏み出せるなら、一時的にはそれで良いと思う。

原因があろうとなかろうとあまり関係なくって

大切なのは、今自分がどんな気持ちを持っているか

なにか気持ちがわいているならそれをなんの理由もつけずに受けとめてみる。

気が済むまで気持ちに浸っていたらいいし自分や周りを無理に変えていこうとしたって遠まわしにしているだけだ。

そんで気が済んだらじゃあこれからどうしたいかな、どうしていこうかなって考えれば良いんじゃないの?って今は思います。

2014.11.6.